第三章

 昼を少し回った時間帯の繁華街は人で埋め尽くされていた、自分と同じ暇を持て余した
大学生、やたらイチャイチャしているカップル、子連れの夫婦、
額の汗をハンカチで拭うサラリーマン風の男。
そんな様々な人が行き交う繁華街を俺と千夜は無言で歩いていた、
本格的な行動は夜からだとは言っていたがそれまでに街の下見をしたい、と言ったのは千夜だった。
宗一郎と名乗った男は面倒くさそうに「夜まで寝る、行くなら二人で行って来い」
など、さっさと俺のベッドでと寝てしまった。
成り行き上仕方なく俺は千夜の言う「なるべく人通りの多い所」を案内する羽目となり、
結果としてこの辺りで一番人が集まるこの繁華街に来たというわけだ。
無言なのもそろそろ気まずいと思い、とりあえず思ったことを口に出してみる
「なぁ、普通犯罪者とかってこんな賑やかな所には来ないと思うぞ?」
半分ぐらい無視される覚悟で言ってみたが意外にも千夜は言葉を返してくる。
「今は黒幕を探しているわけじゃないからいいのよ、奴の実験はこういった所じゃないと
意味がないから、とりあえずは情報の収集することが先ね、ついでに相手は普通の犯罪者には当てはまらない」
千夜がそう言うなら口を挟む必要もない
早くも会話が途切れてしまいそうなので別の話題をぶつけてみる
「あんたらの言ってる危険人物ってどんな奴なんだ、ただの犯罪者じゃないって、やっぱりそいつも魔術師かなんかなのか?」
しかし千夜の答えは些か以上に俺を落胆させる簡潔なものだった、ただ一言
「知らない」やはり前を向いたまま質問を一刀両断する、この少女にひょっとして自分は
嫌われているのではないかとも考えてしまう。
まぁ無視されないだけマシか……これ以上の会話の続行は諦めようかと考えていた時だった「私も宗一郎から詳しく聞かされているわけじゃないし」
そう、呟くように彼女は言った、心なしか千夜の声は不機嫌そうに聞こえた。
「そ、そうなのか……二人は仕事仲間か何かみたいだけど知り合って長いのか?」
「私が生まれてすぐだから・・・二年とちょっと」と、真面目な顔で返した。
冗談であるとは思ったが果たしてこの少女が冗談など言うのだろうか、
「・・・・・・一応聞いておくが何歳だ?お前」
「もうすぐ二歳と九ヵ月」
「・・・・・・」
俺が唖然としていると千夜はようやくこちらを向いて喋ってくれた
「とは、言っても私の生きている世界と貴方達の生きている世界は別のものだから
時間の流れもちょっと違うの、それにこの肉体は私の本体じゃないし」
「本体じゃないって?」
「本来、この世界のモノではない私はこっちには直接干渉ができないの、
だから代わりに私の存在核の一部を使ってこの世界に具現化しているわけ、
言わばこっちでの手足となる媒介なのよ、この体。」
実際ここにいるのは本物ではなく代理・・・いまいちピンと来なかったが千夜がそう言うのだからそうなのだろう、さりげなく会話を伸ばそうと次の質問をしてみる。
「千夜以外の死神って何人くらいこっちにいるんだ?」
ちょうどそう聞いたとき千夜は立ち止まり不意に裏路地のほうに目を向けた、
表の賑やかな雰囲気とは反対の陰湿なそこは、先月に起きた通り魔殺人の現場、
当時はマスコミなんかも取材に来てそれなりに騒がれた事件だった。
ちなみにその時彰人が自分の好きな女子アナが来たとかで騒いでいたのを覚えている。
何か気になるものでもあったのか、千夜はその裏路地をじっと見たまま答える。
「私は正確に言えば死神じゃない、ただ単に貴方達の言葉で表したとき一番近いのが
『死神』ってだけ、私という存在に名前はないのよ。」
そう言いながら一歩一歩、裏路地に向かって歩き出した、慌てて追いかける。
「お、おい・・・」
「私の他に私と同じ存在がどれだけいるのかは分からない、私が知ってるのは一人だけだけどきっと他にもいると思う、そうじゃないととても間に合わないもの」
どんどん奥に進んでいく、裏路地の入り口に差し掛かった辺りからだんだんと俺は気分が悪くなっていった、まるで熱に浮かされているかのように視界が揺れ、
一歩歩くごとに足は重くなっていった、何か、何かこの先にはよくないものが在る、漠然とそんなことを思った、しかし千夜の足は止まらず裏路地の最奥。
行き止まりになっている所まで来た。
「あーゆーのが減ってくれればこっちの仕事も楽なんだけど・・・無理ね」
昼間であっても暗いそこに、一塊の白い靄があった、正確には居た。
それは人の形をした、昨夜から俺を悩ませているモノだった、
白く、あやふやな人型を形成しているソレは蝋燭の灯火の様に静かに揺れ
壁に向かって何かをブツブツと唱えている、何を言っているのかまでは分からない。
俺はソレを見た瞬間、その場から逃げ出したい衝動に駆られた、が、千夜は依然
歩みを止めずにソレに向かって行く、俺はその場に留まる他なかった。
「私を含めた『死神』の役目は死してなお世界から切り離されない魂を強制的に
剥離する事、ただそれだけの為に在るモノが私たちなのよ」
そう言いながら千夜は右手を横に伸ばす、すると暗い地面から一本の棒がまるで
生えてくるかのように伸びてくる、ちょうど千夜の手に握られる高さまで達すると
彼女は勢いよくソレを引き抜いた、
逆手に握られた得物は細長く、儚く、それでいて力強い、
ちょうど彼女のイメージと死神のイメージを併せ持ったような大鎌だった。
しかしその鎌はよくよく見ると俺の知っているものとは微妙に違う、
まず反りが無い、通常鎌というのは刀身が反っている、
しかし、千夜の手に握られているその大鎌の刀身は直線、しかも諸刃だった。
刀身は細く、長さは目算で七十〜八十センチほど、その刀身が棒に垂直に刺さっており.
全体は包帯のような白い布が巻かれていた。
千夜がそれを一振り、音も立てずに振るとその先から布が解け、
一般的に鏡面仕上げと呼ばれるものだろうか、銀色の刀身が暗い路地裏で鋭い光を放つ。
千夜はその大鎌を斜めに構え、白い塊を真っ直ぐに見据える。
すると今までこちらのほうを向いてさえいなかった塊が大きくビクッと揺れ、
こちらに振り返った、一瞬―――目があった気がした。
その塊はこちらを見ながら、口(?)を開く、今度は俺にも何を言っているのか聞こえた。
「オレは・・・オレは何も悪くないんだよ・・・何もしてないんだよ、なのに・・・
なのになんで死んで・・・、なぁ頼むよアイツ殺してくれよ、誰かさぁ
なんでオレがこんな目に・・・、ちくしょう、ちくしょう・・・オレはまだ死にたくないんだよ、ホント頼むよ・・・。」その声は本当に悲痛な、泣き声のようだった。
自然に考えてこの男は件の事件の被害者であろう、何の罪もない
言うなればただ運が悪かっただけ、それだけのことである。しかし殺された本人はどう
思うだろうか、誰か他の人間が、自分に関係のない人間が例えば事故か何かで死んだとする、それは運が悪かったで済むかもしれない、だがそれが親しい人、ないしは自分の身に降りかかったとしたらどうだろうか、やり直しが聞くことならば諦めるかもしれない、だが死んでしまったらすべてが終わり、どうしようもないその気持ちを何処にぶつければいいのだろうか。
そんな、今まで一度も考えたことのないことを考えている、
そんな自分に気付いた時、初めて自分が今泣きそうな事に気付いた
自分の肉親が死んでも泣かなかった自分が何故、赤の他人のために泣きそうだったのか
俺には分からなかった

「千夜」
「何?」答えながら間合いを詰めていく、そして、千夜の間合いに塊が入り
再び塊が何か言葉を出そうとした瞬間、既にその身は二つに分断されていた
短い、叫びが聞こえた気がした。
「・・・・・・何?」振り返り再び同じ言葉を発する少女に俺は、
「いや、何でもない」とだけ返した。





再び表通りに出て無言のまま歩く、今度はお互い一言も話さない(それというのも俺が黙っているためだが)千夜は気にすることもなく俺のやや後ろを歩いている。
あの時、俺は何を千夜に言おうとしていたか、同情・慈悲・共感、今までの人生で
感じたことのない、そんな感情を抱かせたあの男をどうしてやりたかったのか
そう考えているとき。
「死んだ人間に同情するのは無意味よ」と千夜は俺に感情のない声で言った、
「そうかもな」反論する気も起きずそう答えた、
「如何に不幸な末路を辿った人間であろうと死んでしまえば皆同等の意味しか
持ち得ないわ、即ち死んでしまった、という事実は何があっても揺らがない、
死者が生者と同じ世界を歩いてはいけないのよ、それが世界の理だから」
「分かってるよ」。
分かってないじゃない・・・と、ため息を吐きながら千夜は呟き、
そこで会話は終わった。
その後、千夜が「大体分かったからもういい」と言うまであちらこちらを歩き、
家に帰るころには空は茜色に染まっていた、千夜と共に家に入り自室に戻ったとき
宗一郎は机に向かって何か作業をしていた、どうやらこの町の地図を見ているようだ
「・・・どっから引っ張り出してきたんだよ、それ」
「お前の本棚からだ」
そんな事知っている、さも当然のように返事をした宗一郎にこれ以上かける言葉も
見つからずとりあえずベッドに腰掛ける
千夜は宗一郎の隣から地図を覗き込んでいる。
「実際歩いてどうだ?」
「不自然なぐらい流れがスムーズだったわ、明らかに人の手が入ってる」
「やはりな、なんとはなしに気づいてはいたが、この土地は妙に素直すぎる」
完全に俺を置き去りにして二人で話している、そのまま俺はベッドに横になり天井を見つめる、「はぁ・・・・・・」本当に俺はやっていけるのだろうか、そんな疑問が浮かぶ
何せ今日、俺にできた事といえば町の案内と千夜の『仕事』をポカーン
と眺めることぐらいだった、今日はっきりと再認識した、やはり俺は凡人である。
ちょっと幽霊だの死神だのに縁ができたぐらいの事、それだけで何か特別な人間に
なった気でいた部分も実際はある(事実、普通とは言い難いかもしれないが)
だが結局は本質的には何も変わってない。
そう思って、その時の俺はギリギリまで当事者でいる事から逃げていた。




今夜からは基本的に昼夜逆転の生活をしてもらう、今夜は三人、明日からは
一人一人分かれて行動する、巡回は繁華街を中心として行い零時と四時に
一度合流、日が昇った時点で各自退却、目標を発見した場合は私と千夜は
目標の破壊、お前は私か千夜、どちらかに連絡を。」
宗一郎の説明を受け『仕事』の初日は始まった、時刻は午後十時、
まだまだ繁華街は賑わっている、昼間とは違った『夜の店』のせいである。
昼間の表通りから道を一本奥に入った所にあるそのエリアを男二人と少女一人
という不自然な組み合わせが歩く、無論俺と宗一郎、千夜の三人である。
二人は周りの状況など気にせず奥へ奥へと進む、気まずそうなのは俺だけだ。
繁華街を抜け、そのまま進むと住宅街が広がっている。
ここまで来るとあまり人もいない、時たま後ろから車が追い越してくるぐらいだ。
ある程度進むとまた引き返して繁華街に入る、そして通り抜けまた引き返す、
それの繰り返し、三往復目の繁華街でのことだ。そろそろ午前零時になり
人の数もだんだんと減ってきた頃不意に違和感を感じて俺は立ち止まった、
急に周りが液体に包まれたような感覚、前方からは僅かながら後ろに押し戻されるような感覚を受けている。
千夜と宗一郎も立ち止まる。
「分かるか」急に前を歩いていた宗一郎が首だけ振り返り俺に問いかける。
何となくさっきまでの繁華街とは違う感じがした、何処がどう、ではなく
強いて言うならば俺の視界に納まる繁華街が、である。
その違和感も時間が経つに連れて薄くなっていく、二人が再び歩き出したので
それに続く、また先ほどの違和感を感じるようになってくる、
宗一郎は歩幅を緩め俺と並ぶと
「今、約二十メートル先に目標の実験体がいる、
さっきは近寄りすぎたか、分かったな、あの感覚を明日から探れ」
「・・・・・・大体は。」
そのまま歩いていく、依然先ほどからの違和感はなくならないところから
一定の距離を保っているのだろう。
そう考えた時だった、急に違和感が消えた。
「宗一郎」
千夜が宗一郎にやや緊張した声を掛ける
「拙いな、気付かれたか・・・・・・尾行は中止、破壊する」
「了解」
二人が会話を終わせた時、既に二人の姿は俺から遠く離れた地点にあった。
明らかに人が走る速さではなかったにも関わらず周りにいた人間は誰一人としてその姿を目で追う者はいない、
まるで誰の目にも二人の姿が映っていないかのようだった。


「埒が明かんな」既に繁華街を遠く離れ住宅街に入っていた宗一郎が速度を落とさず
千夜に話しかける、「やっぱり急激に速度を上げたのは失敗かも」
先ほどから前方の目標とほとんど距離が縮まっていない。依然四〜五十メートル先を
走るというより跳ぶに近い動作で逃げている。
その速度は二人と同様人間を遥かに超えたもの。
「昨日の奴より動きいいね」
「あぁ、だがあまり長引かせるのも癪だ、そろそろ本気で取り掛かるか」
そう言いながら宗一郎は外套のポケットから一丁の拳銃を取り出す。
銃身の短いリボルバー、それに同じくポケットから取り出した一発の弾を込める。
「私が奴の足を撃つ、その隙に斬り込め」そう言いながらハンマーを起こす。
「・・・当たるの?この距離で」多少疑うように千夜が言う、距離もさる事ながら
動いている標的をしかも外灯も少なく薄暗いこの状況である
宗一郎は答えず、右手で銃を構え、左腕を真横に突き出す。
千夜はそれを見て軽くため息をつき彼女の愛用の得物を地面から取り出した。
宗一郎の伸ばした左腕にとん、と千夜が乗る。その瞬間、宗一郎は左腕をその上に乗った
少女ごと力の限り振った。千夜はその勢いに自らの脚力を付加し弾丸の如く
標的に向かって跳ぶ、まさしくカタパルト。
千夜を射出した宗一郎は間を置かずに右手に構えた銃の引き金を絞り込む。
バン、というよりはドッ、に近い銃声と共に弾丸は千夜のすぐ横を通り目標に向かって一直線に進む、前方を走っていた目標は後方から銃声が聞こえた瞬間、
反射的にやや左前へと跳んだ、直後、足元に何かが着弾したのを感じた。
(外した。)目標の背後、三十メートル時点を飛んでいた千夜も弾が地面にめり込んだのを
確認した、目標まではまだ距離がある、相手はすぐに体勢を立て直して走り出したため距離は依然として離れたままだ、ここからでは彼女の斬撃は届かない。もう一発撃て、と千夜が指示しようと振り返ったとき。
「――土蛇」
総一郎が短くそう呟いた、そして目標の右足が宙を舞った、その足を撃ち抜いた弾丸は目標の足元から撃ち出され正確に右膝の関節を粉砕したのだった。