プロローグ

 

  夏は嫌いだ、自分が暑いのに弱いせいもあるがすべてのものが儚く感じてしまう。

以前そのことを自分の数少ない友人である彰人(あきと)に言ったら笑いながらこう言われた

(はかな)いなんて事あるかよ、夏はな男を熱くさせる季節なんだぜ?その季節に儚いだなんてどうかしてるって」

確かにそうだ、夏の青々とした草木や鳴く蝉の声を聞けば大抵の人間は儚いなんて思ったりはしないだろう。

だが夏はいつも自分に死を連想させる、

自分は冷めた人間だと自覚しているがひねくれた人間だとは思わない、

誰もが生命の流れを感じるこの季節に俺がなぜ死のイメージばかりが浮かぶのか

自分にも分からなかった。

俺があの女に出会うまでは―――。

 

 

 

 

 

 

                

第一章 

  

 自分こと滝川(たきがわ)恭介(きょうすけ)は無感動な人間だった。

子供の頃から人間というものをいつも冷めた目で見ていた、

昔、家で猫を飼っていた時期がある、自分が物心つく前から一緒にいた猫だが

特別お互いを意識することなく生活していた。

ある日、自分が学校から帰ってくるとその猫は死んでいた。

当時小学校低学年だった自分はその事実をかなり冷めた目で見ていた気がする。

両親は自分が大きなショックを受けたものと勘違いし、自分を慰めようとした、しかし

猫が死んだという事実よりもそんな両親が(わずら)わしいと感じている自分に嫌気が差し

その日の夜、ひっそりと泣いた。

こんな性格からか周囲の人間は段々と自分を遠ざけ始めた、

自分も元来、人間というものに興味が沸かなかったためか大人しくその状況を受け入れた。

 そして自分が中学校に上がる時両親が離婚した、自分は母親とともに家を出た、

別にどちら側について行っても良かったが父親が自分に何も言わなかったので

俺は母親について行った、高校に上がる少し前まで母親と暮らしていたが

その後母親が再婚した時の新しい父親は自分のことを嫌っていたらしく結局自分は

大学に入るのと同時に家を出る羽目になった。 

幸い義理の父親はいくつもの物件を所有しているらしく

自分が家を出るときも気前よく一軒家を与えてくれた。

大学生であるにもかかわらず自分が広い家にただ一人住んでいるのは

そういった事情があるからだ。

そして物語は大学生活とそれに伴う人付き合いもいいかげん飽き飽きしてきた大学二年の夏休み、唐突に俺の日常を奪い始まった。

 

 

  七月も終わり近づいた頃の夜、

俺は夕飯を買うために外に出た、最近はコンビニの弁当も種類が増えて助かる、

別に俺は腹さえ満たされればなんでもかまわないが種類は多いに越したことはない、

そんなことを考えているうちにコンビニに到着し適当に籠のなかに物を放り込む、

時刻はまもなく深夜零時、店員は面倒くさそうに籠の中の商品を手にとり

バーコードを読み取っている、「お会計870円になります」小銭を出すのが面倒だったので千円札を出して会計を済ませた俺はまっすぐ家に帰らず少し遠回りをしようと考えた、

普段はそんなことはしないがコンビニを出たときに見上げた空に浮かんでいた満月が

あまりにも綺麗だったのでそんな気まぐれを俺に起こさせたのだろう、

今思えばここから俺の世界は狂いだしたんだ。

最初に感じたのは強い乾き

 意識は朦朧とし、意識しないと息を吸うこともできない、

空には月、微かな風が頬を撫で、俺は何かに引き込まれるかのように

フラフラと夢遊病者のように夜の街を彷徨(さまよ)った。

誰かが自分に言っている、引き返せ、と

しかし俺の意識は理解せず

引き返せ引き返せ引き返せヒキカエセヒキカエセ、

だが俺の足は止まらず

そして、俺は俺の日常の終着点へと辿り着いた。

打ち捨てられた工事器具と建材。

元々はビルが建てられるはずが開発途中に経営者が破産したため忘れ去られた工事現場、

そこに彼女がいた。

月明かりに照らされた漆黒の髪、整った顔立ち

年齢にして17歳といった所、背はあまり高くない、俺の胸くらしかないだろう。

だがそんな思考は後からついて来たものだ

その時、俺はただ一つの事しか考えてはいなかった。

その少女を美しいと思いながらも感じた絶対的なまでの死の恐怖

「ほう……お前アレが視えるのか。」

不意に後ろから声を掛けられ俺の意識は現実に引き戻された。

そこにはいつの間にか夏には似つかわしくない黒い外套を羽織った男が立っていた、

暗いため表情は読めないが声の微妙な調子から男が驚いているのが分かった。

「ふむ……元々素質はあったが焦点が合ったの今夜が初めて、といった所か。

今夜は満月である上に闇も深い、まったくお前も運が悪いな、

だが視えてしまったとはいえこれ以上アレに関わるのは止めておけ

アレの存在は死と同義であるゆえアレに近い者は死に近いのとまた同義、

お前もまだ死にたくはなかろう?」

男は淡々と俺に語りそして外套を(ひるがえ)し闇にとけこむように消えた、

振り返るとすでに少女の姿もない、

「なんだったんだ……」

そう呟いて俺は急いでその場から離れようとした時、

シャツの背中が汗でべっとりと張り付いていた、のどの渇きも収まっていた。

その時俺は少女の立っていた場所に何か横たわっているのに気づいた、

なんとなく気になった

近寄って見てみる。

「っっ!!」

一瞬息が止まった、横たわっているのは人……

正確には人だった(・・・)モノ。

鮮烈な赤に染まり左肩から右腰までバッサリと切られているソレは

一目で死んでいると判った、

「うっ……」

自分が死に対して無感動であってもこの状況は酷すぎた、生理的に受け付けない。

込みあがってくる吐き気に耐え目を背けた。

最初に考えたのは警察、だがすぐにその考えは捨てた

明らかに自分が怪しまれてしまうだろう、警察沙汰になるのは面倒だった。

結局俺はその死体を見なかった事にしてその場を足早に去った、

家に着いた時は午前一時を過ぎていた、

すっかり飯を食う気も失せ、買ってきた弁当を袋ごと冷蔵庫に押し込みシャワーを浴びた

(なんだったんだ、アイツら……)

ぬるい湯を浴びながら思い返す、

(やっぱあの死体、あの娘がやったのか……)

近頃凶悪な少年犯罪が多発しているとはいえやはり現実味が薄い、

自分より(見た目)年下の、しかも少女があんな殺し方ができるとは思えない、

それに少女は手ぶらだった、あんな風に人を殺すには大型の刃物がいる、

あの鋭い切り口は刀のような長い刃物で一気に斬ったものだった、

それに相当の力を要する、とするとあのもう一人の男がやったのか?

ここまできて俺は自分が考えていたことがおかしいと気付く

最初に男の方を疑うのが普通ではないか?

(やっぱ警察に通報した方が良かったか…………)

そんなことをぼんやりと考えながら風呂場から出て自分の部屋に戻る、

今は何も考えず寝よう、明日になれば誰かが発見して警察が動き出す、

俺には関係ない。

この時はそう思っていた、

部屋に入って電気の点けようとしてふと手を止める。

(?、クーラーつけっぱなしだったか?)

部屋は夏場だというのに冷え切っていた、

しかし俺はクーラーなんて元からつけてない

クーラーは家を出るときに消して窓を開けっ放しにしていたはずだった

家を出てから一時間以上たっている、いくらなんでも部屋の温度は上がっているはずだ

不思議に思いながらも電気を点けようとする、が点かない。

(球切れてんのか?換えのやつ買ってないな………)

まあ今日はもう寝るだけだし、そう思って部屋に入ろうとして足を止めた、

部屋の隅に何か、白い靄のようなものが見える。

靄のようだがはっきりとした物量を感じる。

不意にその靄が立ち上がり人のような形を作り始めた、

俺は元来霊感というものがまるでなかった、霊そのものも信じていなかった。

しかしこの時、俺にはそれがはっきりと霊である事が判った、

直感とは違う。ただ「そうである事」としてその事実をはっきりと受け入れた。

その靄はこちらを向いたかと思うとそのまま俺に向かって歩きだした

殺されるな。

なんとなくそう思った。逃げようにも足が動かない

不思議と恐怖も感じなかった、ただあるのはこれから自分が死ぬという事実のみ。

今年の夏は例年と比べて暑い、加えて湿度も高い

(早めに発見されないと腐っちまうな俺)

そんな事をぼんやりと考えていた時だった。

「やっぱりここに来てた」

不意に後ろから聞こえる澄んだ声、

「!!」

その瞬間今まで動かなかった体が急に軽くなった、そのまま床にへたり込む。

あと少しで俺に触れられる距離にいた靄は弾かれたように後方へ跳び退く、

そのまま開けっ放しの窓から外に出ようとする、

しかし窓は開いているにも関わらずその靄は何かに衝突して外に出られない

まるで見えない壁がそこにあるようだった。

「たわけ、二度も逃がす訳がなかろう」

どこかで聞いたような低い声が部屋に響く、

靄は窓から出られないと分かるとこちら側に振り向く

表情があるわけではないがきっとソレは脅えていたのだろう。なんとなくそう思った

そしてその脅えは不意に殺意へと変わり刹那、

靄は一本の矢のよう再び俺に向かって跳んできた。

今度は意識がハッキリしている恐怖もある。

だが同時にこの速さでは避けられないと理解していた。

ソレが俺の体に突き刺さる直前。

部屋にパンっという乾いた音が響いた

ソレは一瞬、何かに弾かれるようにして短くの仰け反り直後その体は雲散してしまった。

(何が起きたんだ……)

まだ夢を見ているように呆けていた俺は後ろを振り返り

ようやく何が起きたのかを理解した、後ろにいたのはついさっき会った黒い外套の男と

そのやや後ろに死体のところに居た少女。

男は先ほどまで靄がいたところに何かを向けていた、

黒く短い銃身とその後ろについたバレル、その先端からは微かに甘い匂いのする硝煙

男が握っていたのは手にすっぽり収まるような小型の回転式拳銃(リボルバー)

即座に俺はああコレであいつを撃ったんだな、と気付いた。

そしてそこで俺の意識も途絶えた。